愛している人がいるとする。
その人をどのくらい好きなのか言葉で表すのは、この世で猫に名前をつけることの次くらいには愚かな行為だ。
(飼い猫に名前をつけるのは愛情表現や躾など役に立ち、便利であるので必要ではある)
猫に名前なんてつけたら、自由気ままではないだろう。
猫という生き物の詩的美しさは野良猫の中にある。
名前はそれを縛り付けてしまう。
そして、愛を言葉で表すのもまた愛の詩的美しさを損ねてしまう。
もっと単純にいこうか。
好きだよって言葉にしてしまえば、安く聞こえてしまうんだよ。
それになぜ好きなのかという問いが愚問だね。
それこそが愛の詩的美しさだろう。
「月が綺麗ですね」
「死んでもいいわ」
その美しさの全てが詰まってると言っていい。
何故好きなのかではなく、我君を愛すでもなく、月が綺麗ですねって。
私もあなたのことが好きですではなく、私はあなたのものよでもなく、死んでもいいわって。
なんだかんだ言ってきたけど、僕は愛を言葉で表現したい派なんだ。
ただそれがくだらないことで、愛の詩的美しさを損ねてしまうのも承知の上。
それでも僕は言葉で表現するべきだと思う。
これは愛に限った話ではなくって。
自分自身の感情を言葉で表しておきたい。
それを何かに残しておきたい。
忘れちゃうのはなんだか悲しい。
それに僕は結局忘れるとしても、忘れないようにと尽くすことに詩的美しさ以上の美しさを感じる。
だから、言葉にする。
それを伝えるかはまた別の話だけど…