生きるってのは絶対的な正義なんかじゃなくて、むしろどこまでも悲しくて、それでも楽しい奴らがいたよなって泣きながら笑うような喜劇なのだと思う。
きっと死んだらダメなんてことはないんだ。自発的に死を選ぶことがいけないなんてことはないんだ。自ら死を選ぶ勇気を称賛するべきなんだ。
そうわかっていても悲しいものは悲しい。誰かが死ぬことを悲しめるほど僕はできた人間ではないけれど、僕が好意を抱いている人が死ぬのは悲しい。自ら命を経ったのだと知ったらもっともっと悲しい。
僕にできることなんてたかが知れてる。それでも僕には何かできることがあったのではないかって考えるはずだ。そうして、もっと話しておけばよかった。もっと写真を撮っておけばよかった。もっと沢山の時間を過ごしておけばよかった。そんな風に後悔する。
後悔の中で、やはり僕はできた人間ではないからきっとそいつを恨む。なんで死んだんだよ。昨日会っただろ。その時に話せよ。もっと頼れよ。僕が悲しいじゃんか。
そう、きっと死ぬことはダメなんかじゃないよ。ここは悲しい喜劇だから、こんな奴がいたんだって泣きながら笑う喜劇だから、死んじゃダメだってことはない。
でも誰かを悲しませるのはダメだ。悲しい喜劇をこれ以上悲しくするなよ。悲劇になったらどうするんだ。
なんてこともきっとない。悲しませるのはダメなんかじゃない。だってここは喜劇と約束された世界だから。どれだけ悲しくても悲劇になることはない世界だから。
それじゃあ、どうすればいい。そんなの僕だって知りたいさ。今の僕には悲しい世界をこれ以上悲しくするなよって叫ぶことしかできないんだ。