Ms.teryさん

気の向くままに

差別と区別

せっかくアカウント作ったので何か書いてみようと思いました。まずは自己紹介をしますね、Ms.teryと申します。結構名前気に入ってます。良くも悪くもいろんなことを考えます。考えてしまいます。好きなものは、猫と夜とシーザーサラダ。投稿頻度は高くないと思いますが、何卒よろしくお願いします。

 

ということで、本題。

差別と区別って何が違うのでしょうか。最近(と言っても1ヶ月前の話)、森会長が性差別的な発言をしたことで話題になりましたね。僕も自分の性について思うことがあるので、なかなか彼の発言にはイライラしました。そして、SNS上である意見を見かけました。「男とか女とか関係ないでしょ。そんなものはいらない。現に私は無性として生きている」というような感じだったと思います(多少違いますが)。でも、そうなのでしょうか。性別っていらないものなのでしょうか。考えて、ある疑問と出会いました。今までにも何度も出会っていますが、答えの出ない問い“差別と区別の違いとは”。僕はまず、差別と区別では範囲が広いので性別から考えていこうと思いました。なぜ性別が必要だったのか。ここからは全て自論になってしまいますが…その方が楽だったからの一言なのだと思います。男と女で分けてしまえば、仕事などの配分が楽だから。その方が便利だから。男は力仕事など外で働く、女は家事など家で働く。一見、偏見や差別のように見えるけれど、もっと昔のことを考えると妥当な考えです。狩りをするなら力が強く、動ける男の方が良い。女は子供を産む役割があり、危険に晒すべきではない。生物的な戦略だと思います。ただそれを現代に当てはまるってのが違うのは承知しています。何が言いたいのかというと、性別という区別が必要だったということです。次に性別は“今”必要か。僕は必要だと思います。そもそも性別をなくすってどういうことなのでしょう。男は強さを強要されなくなり、女は美しさを求められなくなるというようなことでしょうか。それならば嬉しい限りですが…性別を無くすと色々な問題があると思います。僕が考えた問題の一つとして、全てのものを共同にすることになると思うんです。トイレとかお風呂が一緒は僕は嫌です。まあ極端な例ではありますが…とりあえず僕は性別という区別は必要だと思いました。そして次、なぜ性差別という言葉が生まれるのか。これがまた難しい。なので、また話を大きくしますね。区別という情報があれば、先入観や偏見が生じるのは避けられません。ただこの“情報”はやはり必要なのです。人って言葉を使って、区別して、分析して、応用してという風に発展してきたと思うんですよ。人は区別したものを言葉で表す。それは完璧なものではありません。固有名詞であれば話は別ですが、男や女と言った言葉からイメージすることは人それぞれです。言葉の利便性の中の欠陥とでも言うのでしょうか。すみません、話が逸れてしまいました…

僕が思うに区別とは、ある物事をある基準に従って分けること。

差別とは、自己と非同一なものを淘汰すること。また淘汰しようとすること。

だと思いました。簡単に言うと区別は方法であり、差別は結果の一部だと言うこと。区別することによって生じてしまう一部の結果が差別だと思うんです。だから、差別と区別が混同しやすい。だから、差別はなくならない。だってそうでしょう。メディアは差別という悪い結果しか映さず、僕たちは良い結果を当たり前のものだと認識している。だとすれば、差別を産む根本的なものが区別になってしまう。僕はそうなってはいけないと思うんです。ある側面からのみの判断が正しいとは限らない。僕がこの内容を書こうと思ったのは知って欲しかったからです。上から目線で申し訳ないです。ただ差別と区別を同一視している人が少し多いなと感じました。この2つは似ていますが、別のものです。どう違うのか知って欲しかった。

余談ですが、差別をなくすためにはどうしたらいいのか。やっぱり1人1人の考え方を変えなければなりません。無理難題です。だから、僕から1つだけ提案をさせてください。男とか女とか区別は必要です。でもその前に、“君だから”とワンテンポ置いてみてください。きっとそれだけで十分です。

 

長々と書きましたが、僕の自論です。もしかしたら、気分を害してしまうかもしれない。申し訳ございません。“差別と区別の違いとは”という問いに対する僕がやっと見つけた答えですが、まだまだ未完成です。だから、何か意見があれば教えて欲しい。僕を肯定しなくていい。むしろ、間違っているところを教えて欲しい。疑問があれば質問して欲しい、アドバイスがあればして欲しい。特に性別をなくして生じる問題が他に何があるのか知りたい。これからもこの問いの完璧な答えを模索していこうと思います。読んでいただきありがとうございましす。