Ms.teryさん

気の向くままに

平和と幸せは似ている

先程の“僕は僕のまま”を書いてて思い出したことがある。小学生の時に国語の問題集にあった哲学的な問い。

 

平和とは何か。

 

何か戦争のお話が教科書にあって、それに連動した問題集的なものがあって、その問題に入る前に(後だったかも)に考えてみようのページがあって、第4問くらいにこいつがいた。

僕は衝撃を受けたね。だって、そんなこと考えたことなかった。平和を当たり前のように享受していたから。もしくは、平和を目の当たりにしたことがなかったから。とりあえず、小学生の僕にとっての人生の中に“平和”という単語は存在していなかった。

 

そんな僕にたたみかけるように先生が言った。

「書けたらグループになって発表するからね」

だから、めちゃ考えた。

 

平和ってなんだろう。

わからなかったから、平和じゃない状態を考えた。当時の僕にとって平和の反対は戦争だった。

 

なぜ戦争は平和じゃないのだろう。

これはわかりそうだった。沢山の人が傷つく。もしかしたら大切な人を殺される。誰かの大切な人を殺してしまう。悲しいのは平和じゃない。

 

戦争とはなんだろう。

喧嘩が大きくなったもの。だけど、喧嘩みたいにすぐに仲直りはできない。

 

どうしてすぐに終わらないのだろう。

大きくなりすぎてしまうから。少なからず誰かが死ねば誰かが悲しみ、誰かを恨む。その誰かが明確だから。

 

戦争を終わらすにはどうしたら良いだろう。

みんながみんな、終わることを望めばいい。平和を望めばいい。戦争は嫌なことだから、戦時中は戦争のない状態が“平和”と言えるはず。長引けば戦争のない昔を思い出す。思い出す人が増えて、それを望んで、戦争は終わるのかもしれない。

 

どうして僕は“平和”がわからないのだろう。

今は戦争のない状態ではあるが、争いは消えていないから。少なくとも泣いている人がいるから。なんとなく戦争がない=平和ってイメージがあって、でもよくよく考えるとそれが結びつかなかったから。

 

今でもよく覚えている。僕はパッと考えることができるほど頭は良くなかったから、こんなふうに順序立てて考えた。すごく時間がかかった。そして自分なりの考えにたどり着いた。

 

じゃあ、平和ってなんだろう。

本当の意味での“平和”なんてものは存在しない。なぜなら平和とは追い続ける対象だから。平和の中に止まっていても、それを平和とは呼ばない。でも、平和を追い続けることに意味がある。そうすれば少しだけでも、泣いている人を減らすことはできる。

 

そんな風に答えた。今思えば、相当クサいことを発表したと思う。きっとこいつはひねくれてる。ただ、今でもこの考えは変わっていない。平和は幸せと似てるんだ。追い続ける対象であって、追い続けることに意味があると思う。