僕の中にはいろいろとルールがある。
その一つのお話。
お別れは悲しくなければならない
だから、形式的なお別れの後は泣くことにしている。ルールって言っても、僕はそうしたいからそうしている。できるだけ悲しみたい。
そう思うようになったのは、僕の1番の友達が死んじゃってから。人間ではない。僕の愛犬。名前はラブって言うんだ。9歳まで生きてた。死んでもう2年が経つ。
少し昔話をする。僕は不器用な人間だった。保育園の頃から先生には敬語を使っていた。周りの人が怖かった。でも、一方で我儘な性格だった。自分の思い通りにしたいけど、それを他の人に言えず、我慢することばかりの子供だった。小学生の頃、僕はかわいいものが好きだった。かわいくなりたかった。かわいいヘアピンを見つけた。我慢ばかりしていたものだから、それが嫌になってどうしてもつけたくなった。学校につけていった。沢山いじられた。次の日もまた次の日も。長らく続いた。僕は学校に行かなくなった。そんな時に、母親がわんこを買いにいこうと言った。そして、ラブに出会った。ラブは僕の話をいつまでも聞いてくれた。僕が泣くと側に寄り添ってくれた。優しいやつなんだ。それで、その時は学校へ戻れるようになった。ほんと救われたよね。小さいくせに僕の中では大きな存在だった。
そんなラブが2年前に死んだ。家に帰ると、ラブが鼻から泡をふいていた。抱き抱えるとぐったりしていた。その日は日曜日だった。病院に電話をしても繋がらなかった。気づくとラブの鼻から血が出てきた。意識も朦朧としていた。かろうじて息はしていたけど、弱々しかった。僕にはどうすることもできなかった。ただラブが動かなくなっていくのを抱き抱えながら見守ることしかできなかった。ラブは冷たくなった。その日は1日中泣いた。もっとああすればよかった。もっとこうしとけばよかった。もっとラブと過ごしたかった。
僕の胸にはぽっかりと大きな穴が空いた。9年も一緒に過ごした友達の存在はあまりにも大きかった。なかなか埋まらなかった。埋めようとも思わなかった。そんなある日、親戚の訃報を耳にした。
生きている限り、やはり死ぬ。
生きている限り、誰かの死と出会う。
それをすごく実感した。僕は遅いほうだ。高校生になるまで、死という実感はあまりにも薄かった。でも、大切な人に明日も会えるとは限らない。僕が生きているかもわからない。だからお別れは悲しみたい。卒業や引っ越し、ばいばいだって悲しみたい。
僕はルールを決めた。
お別れは悲しくなければならない。
別れた後は感傷に浸ろう。
泣いてしまおう。