『スターティング・オーヴァー』を読んだ。
著者は三秋縋さん。
僕のお気に入りの作家の一人。
この本は三秋さんの処女作だ。
読んだというと初見な感じがするけど、この本を読むのは2回目。
つまり、読み返したってことかな。
あらすじをギュッてして、スパンッてして、またギュッてした感じで話すと
20歳の“僕”は幸せという言葉が似合うほど、むしろ幸せという言葉以外に当てはまる言葉が存在しないほどに幸福な生活をしていた。
優しい友人、かわいい妹、素晴らしい彼女。
何をとっても完璧だった。
“僕”の人生に後悔なんてなかった。
そんなある日、目を覚ますと10歳の誕生日に戻っていた。
“僕”は完璧な一週目の人生を再現しようとした。
しかし、“僕”が座るはずだった席には代役がー言うなればドッペルゲンガーがいた。
そんな感じの物語。
もうちょい先まで話すけど、代役のせいで“僕”は人生の再現に失敗して、気がつけば完璧や幸せなどという言葉は見る影も無くなってしまっていった…
どう?続き気にならない?
…まあそうだよね。
こんな紹介じゃ気にならないよな…
紹介したいから書いてる訳じゃないんだけど。
でも、読んでみてくれるとなんとなく嬉しい。
この本を読んで僕は確信した。
僕の思考回路だったり、僕のリズムだったりは多分三秋縋さんの影響を受けている。
もちろん、河野裕さんの影響も大きい。
僕の理想は真辺由宇で、僕の憧れは七草だ。
根っこの部分の考え方は河野さん由来だろう。
しかし、見方を木を中心に存在感を持たせるようにじゃなくて、その枝に実る小さな果実を捉えるようにすると三秋縋さんが近い。
会話のテンポや思考の流れは『スターティング・オーヴァー』の“僕”そのものだ。
ほんと、笑っちゃうくらいに僕すぎる。
僕よりも僕らしいんじゃないかな。
話が長ったるくて、誤解を生まないように言葉を選んで、自分を定義して、そのくせ感情的に自分を壊す。
読んでて思ったもん。
こいつ僕にすっげえ似てるの。
外面いいけど、内面は皮肉で溢れてんの。
人生めちゃくちゃにした嫌いな奴に会っても、怒るんじゃなくて興味持たねえの。
結局はなんだって自分のせいだって受け入れるの。
ただそいつはこう言うんだ。
たった一つの出来事のせいで、歯車が合わなくなって、うまく回らなくて、そのうちにバラバラになってしまう。
逆も然り。
人生は良い方にも悪い方にも転がる。
僕も君もそういう可能性があるってこと。
共感はできるけれど、その可能性を考えることを僕は好まない。
まあ“僕”も好まないのかもしれない。
“僕”はその可能性を目の当たりにしたのだから、その事実を述べただけなのだろう。
きっとそうだ。
ただ、なんだかその言葉が刺さってね。
考えさせられるのよ。
僕の可能性ってなんだろうってね。
君らにはそんなこと関係ないよね。
だから、この後じっくり考えるとするよ。