生きづらい
そう思っている人ならなかなかに多い気がする
生きていることを悔やんでいるような、生きることに絶望しているような。
でも、大抵は諦めている。
どうせ死ねない。
どうしようもないが生きるしかない。
生きるしかないのだが…
生きているのが辛いのだ。
どうもそういう声が多い気がする。
もしかすると、我慢の類義語は諦めではないのかもしれない。
真辺は言った。
「諦めているなら、何も感じないはずだ。でも、怒ったり悲しんだりするならそれは単なる逃げだよ」
(確かこんな内容、間違ってたらすみません)
諦めてしまえば、なんだって我慢することができる。
僕はそう信じているけれど、きっと真辺が正しい。
だって僕は生きづらいと感じてしまうことがあるのだから。
だからこそ、僕はルールを決めようと思った。
生きづらいのは僕自身のせいだ。
ルールというには似合わないかもしれない。
どちらかと言うと一種の幻想だ。
そう思い込むようにしようってことにした。
するとね、僕の弱い部分が浮き彫りになった。
僕は逃げて逃げて逃げ続けた結果、逃げることしかできなくなってしまっている。
ケイが言った。
「弱さは心地がいいんだ。弱さを認めさえすれば、簡単に受け入れられる。でも、逆に弱いと認めなければ諦めないでいられる」
(確かこんな内容、間違ってたらすみません)
つまりはさ、僕の場合についてになるのだけど、弱いと認めたことが悪かったんだと思う。
僕は弱いから逃げよう。
この思考回路も悪くはない。
ただ僕の場合、思考回路が省略され、反射と化していた。
だから、生きづらい。
諦めて、弱さに甘んじて、逃げることしかせずにいたのが悪かったのだと思う。
沢山自分語りしておいてなんだが…
「生きづらい」
「なら、死ね」
なんて言うのは簡単だ。
あたりまえだけど人には人の辛さがある。
僕の生きづらさは僕だけのものだし、僕も誰かの生きづらさを完全に理解することはできない。
だからこそ
「生きづらい」
「大変だったね」
そう言って背中をさすってあげられるような大人に僕はなりたい。