Ms.teryさん

気の向くままに

240円。

ほんの5分前、僕は240円で幸せを買った。

甘いピーチティーマルゲリータ風味の細長いお菓子。幸せという括りの中では微々たる幸せだろう。でも、綺麗な水も十分な食料もない環境であるなら大いな幸せとなる。

まあ幸せの比較など意味のない話だが…ということでさっきの話に戻ろう。

240円の紅茶とお菓子。

些細な幸福でも幸せは幸せであり、小学生のお小遣いの様な金額でもお金はお金だ。つまり、僕は幸せをお金で買った。

「幸せはお金じゃない。」と誰かが言った。

ただ残念ながら僕はその言葉を全肯定できるほど優れた人間じゃないし、どちらかと言うとお金で買える幸せが大半だと思ってる。確かにお金で買えない幸せもあるが、その大抵の本質は人の心だろう。優れた人間ではない僕だけれど、人の心を金で抑圧して手に入れたものを幸せと呼ぶことができないくらいには劣ってもいないと思う。

幸せの価値など人によって異なり、その上日々変化していくそれに優劣などという比較は意味ないが、人間の価値には明確な優劣が存在すると思う。そのことについてはまた今度書こう。

して、幸せ=お金が成り立たないという主張に賛同しないわけでもない。というか成り立つ場合はものを買うことが幸せとなる浪費家か老後安泰を夢見る貯金家くらいだろう。ある意味では正しい。しかし、お金を経由した幸せは沢山のある。その間接的な関わりを見れば、幸せ=お金という考え方も正しい。

そんな中で僕はどうしようかと考えてみた。どちらも正しいのならどちらを選んでもいいはずだから、せめて幸せのあり方くらいは自分で決めたいと思った。その決意が240円。僕は小さな幸せをお金で買った。