Ms.teryさん

気の向くままに

『世界から猫が消えたなら』

著者、川村元気

川村元気、どこかで聞いたような名前だと思ったら『四月になれば彼女は』の著者でもあるらしい。内容は微かにしか覚えていないけれど、旅の中で大切なものに気付かされるような物語だった気がする。

この『世界から猫が消えたなら』も大切なものについて書かれている。病院で余命宣告を受けた僕。1週間。やりたい10のことですら本当にやりたいことなのかわからなくなった。そんな僕に悪魔が現れて言う。

「実はあなたは明日死ぬんです。世界から1つものを消すことで1日余命を伸ばします」

世界から1つものを消していくなかで、僕は大切なものに気づく。

この本はそんな物語。

 

世界から〇〇が消えたなら。悪魔に提案されて、僕は時計を消す。そこで僕が言うんだ。「人々は時間を作ることで自由と引き換えに、安心を得た」

自由は、不安を伴う。

全くその通りだと思う。自由という不安から逃れるためにあらゆる決め事をしてきたのだろう。なんだってそうだ。校則も交通規則も、法律だって不安から逃れるためだろう。僕自身のルールもそうなのだ。

責任ある自由。一見矛盾しているようにも思えるけれど、そう考えると矛盾なんてしていない。責任のある自由くらいがちょうどいいのだ。

 

世界から〇〇が消えたなら。と言うが、何を消すのかは悪魔が決定する。時計を消すのだって悪魔の独断だ。僕にできるのはそれを認めて余命を伸ばすか、認めずに死ぬか。yesかnoかの判断だけで何を消すかの自由は与えられていない。よく出来てるなと思う。

もし何を消すのか僕が決めることができるのなら、責任なんて生じないはずだ。なんたって消す対象を決めるのは僕でも、消すのは悪魔だから。そうではなくて、消すかどうかの判断を僕に決めさせるあたりがいい。悪魔もそこまで悪魔的ではないのかもしれない。まあ、悪魔的な悪魔なお話も面白そうではあるけれど…

 

世界から〇〇が消えたなら。もし僕が“僕”と同じような状況となった時、何を消せなくなるのだろうか。題名の通り、この物語のなかで悪魔は猫を消そうとする。大いなるネタバレにはなるが、“僕”は猫を消すことを諦めた。つまり、自分の死を受け入れた。

「何かを選ぶということは、何かを捨てるということだ」

この物語では何度も出てくる言葉だ。誰かが言った言葉。その通りだと思う。僕は自分の命を捨てて、何を選ぶのだろうか。僕だって“僕”と同じように猫がいなくなるなら命を捨ててもいい。世界中の猫の命を奪ってまで生きたいとは思わない。

じゃあ、猫以外なら何があるのか。きっと沢山あるはずだ。でも、その何かを思い付くことができない。僕は僕の命が惜しいよ。だけど、そうじゃないんだ。命と天秤にかけると言う話は置いといて、何かを消そうとした時その何かがどう大切なのかうまく想像ができない。

 

やはり、僕は欠陥品だと思う。失わずして後悔が先に立たない。そこら辺の想像力があまりにも欠けている。僕にとって大切な何か。きっとあるはずの僕の大切なもの。それを見つけたいと思った。