意味がありそうでなさそうなものほどいい。スマホ片手に下を向く子供で溢れる公園の滑り台とか、ここがどこかわからないほど字が消えかかったバス停の看板とか。アイスの売り上げ絶好調のコンビニのレジにある肉まんなんか最高だ。
正直に言って疲れた。生きることがってのは壮大かもしれない。でも、好きなものがつまらなくなった。
僕は好きなことをする時間が好きだ。好きなことを学ぶことが好きだ。好きなことをもっと好きになることが好きだ。
なのに、意味を強いられた。好きという原動力以外の意味を強いられた。瞬間につまらなくなった。好きが苦痛に変わった。苦痛が嫌悪に変わった。嫌悪が拒絶に変わった。この感情を知ってしまった。もう好きには戻れないと悟った。
そんなに意味が大事なのだろうか。なら、強いられた意味に意味なんてあるのだろうか。結果として意味がなかったのではないか。意味不明な行為だったのではないか。
僕は感情的に生きていたい。なんでかなんてどうでもいい。なんとなくそうしたい。そうやって生きてたい。