Ms.teryさん

気の向くままに

欲求

生きる理由ってなんだ。絶対的な生きる理由ってなんなんだ。僕はそれがまだ欲しい。どんな状況でも成り立つ生きる理由が欲しい。残念ながら、僕の持つ生きる理由は死ぬ理由にもなる。あるいは死ぬ理由が生きる理由になり得てしまっている。

もっと本能的な生きる理由が欲しい。理由なんて言葉では説明できないような、理性など簡単に捨ててしまえるような生きる理由が欲しい。

ごめん

僕は過去に縋ってる。今でもなく未来でもなく、僕の前にあるのは過去。目を背けたい時間もずっと浸りたい思い出もある。全部ひっくるめた過去が僕の前にはある。

僕は今と向き合えていないんだ。昔から目を逸らしてきた。6歳の時には両親の離婚を、9歳の時には友達からのいたずらを、11歳の時には不登校になったきっかけを、16歳の時には恋人との別れを。見て見ぬ振りをした。そのくせ、過去になった途端に言い訳にした。

辛い今に目を背け、苦しかった過去を盾にしてきた。嫌だな。正直に言って、もう嫌だな。こんなことやめたい。やめたほうがいい。そんなことはわかってる。でも、過去に縋る以外の生き方がわからないんだ。杖なしじゃ辛い今を歩けなくなった。苦しい今を立てなくなった。やるせない今を起き上がれなくなった。

わかってる。わかってんだ。そんなことは甘えでしかない。僕のためを思って行動してくれる人たちに失礼であることもわかってる。

馬鹿らしいくらいに負の連鎖だよな。今を見て、苦しくなって、目を逸らして、過去に縋って、その過去に裏切られて、自分はダメだって、でもそんなことわかってただろって。ここから抜け出す方法が見つからない。

活力

やりたいことがわからない。任意と必須と興味とに引き裂かれて、そんなもの失くしてしまった。昔は全部好意の上に成り立ってた。なのに今じゃ興味だけになって、残りは苦痛の上。きっとそれが良くなかったのだろう。

やっと見つけたはずの自我は、行き場がない。ずっと欲しかったはずなのに、苦しみの受容体でしかなんだよ。桿体も錐体も役目を果たさない。僕の目に映るのは色も光もない世界なんだ。

どうやって頑張ればいいんだよ。未来を信じれるほど、僕は楽観的じゃない。それなのに今に美しさを見出せねんだ。

意味

意味がありそうでなさそうなものほどいい。スマホ片手に下を向く子供で溢れる公園の滑り台とか、ここがどこかわからないほど字が消えかかったバス停の看板とか。アイスの売り上げ絶好調のコンビニのレジにある肉まんなんか最高だ。

正直に言って疲れた。生きることがってのは壮大かもしれない。でも、好きなものがつまらなくなった。

僕は好きなことをする時間が好きだ。好きなことを学ぶことが好きだ。好きなことをもっと好きになることが好きだ。

なのに、意味を強いられた。好きという原動力以外の意味を強いられた。瞬間につまらなくなった。好きが苦痛に変わった。苦痛が嫌悪に変わった。嫌悪が拒絶に変わった。この感情を知ってしまった。もう好きには戻れないと悟った。

そんなに意味が大事なのだろうか。なら、強いられた意味に意味なんてあるのだろうか。結果として意味がなかったのではないか。意味不明な行為だったのではないか。

僕は感情的に生きていたい。なんでかなんてどうでもいい。なんとなくそうしたい。そうやって生きてたい。

素敵な人達

高校2年間同じクラス一つ前の番号の子に言われた

「君には幸せになって欲しい。なんでかわかんないけど、笑ってて欲しい。」

 

中学の時からの友達に言われた

「君はすごいよ。他人の幸せを願ってる。君らしいと言えば君らしい。たとえそれが自分のためだとしても、君は優しい。」

 

まだ付き合ってた頃に元カノに言われた

「君は幸せにならなきゃダメなんだ。でも私の考えを押し付けてるだけだから、不幸だと思ってもいい。」

 

シーザーサラダ食べたい

突発的に死にたいって思った。得体の知れない苦しみから逃げ続けることに疲れたから、そいつに永遠のさよならを告げてやりたいと思った。

僕は何から逃げているのだろう。何がこんなに苦しいのだろう。もしかするとこの突発的な希死念慮は慢性的な自殺願望なのかもしれない。もう僕の周りに脅威はない。なのに息苦しさが消えてくれない。この長期的な息苦しさが希死念慮を誘発しているのかもしれない。そうなのであれば、それはきっともっと具体的な自殺願望と呼べるのだろう。

どうにか逃げようと手を尽くした。どうにか抜け出そうと必死に足掻いた。でもどうにもならない。コップに入れられた氷の隙間を水が埋めていくように、どうしたって飲み込まれてしまう。そしてそれと同じように息苦しさに自らが溶け出してしまうような感覚に陥る。

僕はこの苦しみと同じモノでできているのだ。じゃあ、逃れるもクソもない。死ぬしかないのではないか。

そう思いつく。あるいは、そう思い至る。でもまあ結局、僕は死なない。死ぬのが怖いから自ら死ねない。もしこの恐怖よりも逃れられない恐怖が上回れば、死ぬと決意できるのに。

自己

何かを考え始めて飽きたり、行き詰まったりして他の何かを考えたはずなのに、結局は同じところに戻ってくる現象に名前をつけたい

ループとも違う気がする。でも本当に不思議に思うほど、ある一つの疑問に収束する。

僕を僕と呼ぶこの自我はなんなのだろうか。

どのルートを通ってもこの問題に直面してしまう。当たり前っちゃ当たり前のことかもしれない。考えるという行為は僕という自我の元に成り立っているのだから。

まあ僕の思考回路がおかしいのかもしれない。でも、そこんところはどうだっていいや。僕は僕を知りたい。僕とは一体なんなのだろうか。ただただ純粋に知りたいんだ。