Ms.teryさん

気の向くままに

花束みたいな恋をした

映画を1人で見た。“花束みたいな恋をした”最初花束みたいな恋なんてあるわけがないって考えながら劇場内で待っていた。ひねくれた考えをした天罰だろうか、ポップコーンを盛大にぶちまけた。まだ一口も食べてなかったのに。キャラメルだったのに。残ったのは1/6程度だった。こぼしたのはもちろん悪いことだったけど、その分美味しく食べれたのはよかったのかもしれない。いや、やっぱりよくない。

 

そんなことは置いといて。映画を見た。

花束みたいた恋って初めて聞いた時、ラブラブでイチャイチャな恋をイメージした。きっと誰が見てもハッピーエンドと言うような物語なのだろうと思った。けれど、想像していたような物語ではなかった。誰かから聞いたことがある「花束は綺麗だけど、いつか散ってしまう。鮮やかだったものが色褪せ、萎んで、倒れて、散る。そして、余韻に浸る。ここまでが花束だ」と。その通りの物語だった。

 

ここからはネタバレ注意なので、されたくない人は今すぐ回れ右でお願いします。

主演は菅田将暉有村架純。初めはやはり、ラブラブでイチャイチャだった。際どい演出もあって、ちょっと恥ずかしかった。付き合って、2人で夢を描いて、支え合って、同棲して、時には馬鹿になって、他愛のない会話をして、ずっとこのままでいたいねって話し合っていた。でも、そんな日々は長くは続かなかった。やりたいことだけでは生計を立てられなくて、麦(菅田将暉)が就活を始めた。絹(有村架純)も仕事についた。社会に揉まれ、麦が夢を語らなくなった。2人はすれ違っていった。喧嘩もするようになった。そんな時、共通の知り合いが死んだ。麦にとっては大事な先輩。絹にとっては麦がお世話になった人。麦は通夜の後、先輩について話し合いたかった。絹はあまり知らなくて家に帰ると寝てしまった。この時を境に2人の間にはっきりと壁ができた。会話が無くなった。喧嘩が無くなった。触れ合いが無くなった。夢を描くことも馬鹿になることも無くなった。そして、共通の知人同士の結婚式に参加した。2人はもう別れるつもりだった。笑顔でさよならを言うつもりだった。でも麦は言えなかった。たった一言の言葉が出なかった。代わりに出てきたのは「結婚しよう。家族になれば、幸せになれる。長年の夫婦だってそんなものだ。でも子供ができて、家族3人か4人で過ごして、おじいちゃんおばあちゃんになって、空気みたいになって、最後には幸せだったってそんな関係になろう」

絹も頷いた。でも、近くに昔の彼らのような2人が来た。それを見ていると辛くなって、2人で泣き合った。そして、別れた。 

 

そんな物語。最後にばったり街中であって、それぞれの道を行く形で終わった。ハッピーエンドといえばハッピーエンドかもしれない。でも無性に悲しくなった。きっと恋の終わりはこういうものなのだろう。この映画の中で僕は一つ思ったことがある。僕もあの日、彼女に別れようって言われた日、別れたくないって言えばよかったのか。別れたくない、思い出すのは楽しい思い出ばかりなんだ。そういえばよかったのだろうか。そして、もうあの楽しい日々は戻ってこないんだって泣けばよかったのだろうか。

この作品の中で、恋はパーティのように終わる。と言う作家さんがいる。その人はこの恋をそんなふうにしないと言った一年後に自殺した。僕は恋を永遠のものにするために死んだのかと思ったけれど、多分別れて辛くなって死んだのだろうというのが正しいらしい。恋とは一体なんなのだろうか。

この作品の中で1人の寂しさよりも2人の寂しさの方が辛いらしい。と言うプロデューサーがいる。恋はなまものだから賞味期限があるらしく、沢山の女と遊んでいる。いくらなんでも悲しすぎやしないだろうか。

でもそうなのだろう。きっと恋は悲しいものだ。どんなに頑張ってもうまくいかなくて、次第に2人でいるのが辛くなって、他の人を求めて、彷徨う。楽しいと寂しいの2つなら断然寂しいが勝つのだろう。ただわずかな楽しさが胸にあって、忘れられなくて、苦しくなるんだろう。やはり、恋は悲しい。

だからといって、恋をするなとも言わないし僕は恋をする。寂しくたって、恋をする。そうしていたいと思う。ここまでを見返すとなんだか悲しい感想になっているけど、僕はこの映画をおすすめする。今恋をしている人、恋をし終わった人に見てほしい。