生きるのも死ぬのも結局は同じだから。
決めるのは自分自身でしかないから。
他人にはどうすることだってできない。
でもさ、自分じゃどうにもならなくて。
死にたいって、生きるのが辛いって。
泣いてしまうんじゃないか。
ねえ、絶望的じゃない?
どうしても僕らはわかりあえないんだ。
僕の認識する“僕”と君の認識する“僕”とではあまりにも違いすぎてしまうから。
どちらがホンモノかニセモノかなんてない。
どちらもホンモノでニセモノ。
だから、曖昧になってしまう。
友達や家族、自分の存在ですら不明瞭。
本当の自分も、偽りの自分も存在しているはずなのに、どちらがそうなのかわからない。
相手のことはもっとわからない。
「君は何にでもなれる」
だなんて言うけれど…
実際は、曖昧なものを無理やり形作ることができるということなだけであって、その労力に結果は見合わない。
そもそも何故、僕らは形が必要なのだろう。
曖昧で不明瞭なものとわかっていながら、形あるものになろうとしてしまうのだろう。
答えなんて見つからない。
誰かを使って自分を形作ろうとするけれど、その誰かもまた不明瞭。
歯のない彫刻刀なんて意味がない。
それすらも本当はわかっている。
ただ誰かを使った気になって、自分を形作れた気になる。
ほんの僅かで、脆弱な幸せを求めてる。
絶望的だと思わない?